工場には一人の技官がいる。技官の仕事は受刑者の作業が円滑に進むように

機械の配置や材料の手配等を行う業務で、業者への連絡も担っている。

私たちの工場にもF井という定年前の技官がいた。

工場に来るのは1日のうちせいぜい1時間程度だ。

 

後は刑務所内をブラブラして、技官のたまり場で

世間話をして時間を潰す。

 

工場に居ないことが多いので仕事のことが分からない。

それなのに口を出す、顔を出せと言いたい。

F井は暇で、暇で、仕方がない。

 

だから、人を揉めさせてそれを見て楽しむという悪趣味がある。

F井は技官の間でもこのようなことばかりして、

人間関係を無茶苦茶にするので同僚にも嫌われている。

 

ある日、F井と倉庫の棚卸しをしていた時に

印鑑の朱肉が10コ以上足りないことに気が付いた。F井が私に、

 

「知らないか?」

と聞いてきたので私は、

 

「知りません」

と答えた。するとF井は、

 

「N本さんかなぁ?」

と振ってくる。私は、

 

「オヤジですかねぇ」

と適当に答えた、話はそこで終わった。

 

3日後、N本から猛烈な抗議をうけた。

 

「俺がいつ朱肉をパクったんや」と

F井が変なことを言ったのだとすぐに予測がついた。

 

振ってきたのはF井だ。

この手の陥れ行為は受刑者の間でよく使われる。

 

技官だと思って油断をしていた。

N本にF井を呼んだ方が早いのではと提案した。

 

F井はすぐに来た。N本と3人で食堂に入る。

最初に口を開いたのは私だ。

 

技官に対する暴言は看守にするものと違い上げられない。

 

「コラF井、お前何を言うとんねん」

N本がすかさず、

 

「呼び捨てはあかんやろ」

と言う、しかしエンジンはかかっている。

 

「コラ、アホ何とか言え」

とF井に言ってやった。N本が、

 

「ちょっと待て」

と言ったが止まらない。私はN本に、

 

「黙っとけ」

と言った。N本は黙る。

 

F井は言い訳ばかりして話にならない。N本が、

 

「俺が一回でも官の物を盗ったことがあるか」

と言う。出任せを言うのはどの口だと、

言って口を抓ってやりたくなった。

この事件が起こる1ヶ月前にこんなことがあった。

「ボールペンの芯を取り出して、このボールペンに合うように

長さを調節して、芯の入れ替えをしてくれへんか」

と注文された。

 

ボールペンはN本の私物だ。私たちの使っているのは官物ボールペンだ。

ボールペンの芯ぐらい自分のお金で買えよと思う。

 

官のボールペンというものは税金で購入されたものではないか。

N本のしていることはドロボーではないのか。

 

矯正指導をする立場であるにもかかわらず、

みんなの前で堂々と盗みを働くとは許し難い行為だ。

 

納得がいかないので面接をつけると受刑者の1人が言いだした。

 

私は受刑者に所長面接をつけたところで区長が来るか、

統括に注意されて終わるだろうから、

外部組織である巡閲官に面接をつけた方がよいと教える。

 

1年に1回巡閲官が刑務所の視察に訪れる。この時、面接が許される。

看守はこの行事をすこぶる怯える。刑務所長にヘタを打たすことになるからだ。

受刑者もその頃になると忘れているだろうと一時的な手段ではあるが、

陰でN本をサポートする、N本には

 

「自分の立場というものをよく考え、今後このようなことがないように」

と注意する。

 

一体どちらが指導する立場か分からない。

N本はいつものように

 

「何でもできると勘違いしていました」

と、いつも同じことしか言わない。

 

受刑者たちは本当によく見ている

看守はみんなを見ているが、みんなは

看守1人だけを見ている。

 

受刑者の意識は半分が作業、もう半分は看守の動静である。

 

ボールペンの芯をパクって私に

折檻されて1ヶ月も経っていないのに、よく言えたものだと感心した。

今はF井に腹が立っているので黙っておくことにした。

 

F井は最後まで謝らない、年を取ると頑固だ。

結局3区の区長と主任を交えて事務所で話をすることになった。

こうなったら徹底的にやっつけてやると思った。

 

区長が工場に来てN本に何か言って帰った。N本に呼ばれた。

 

「区長に工場長の方で納めてくれと言われた。悪いけど辛抱してくれ」

とN本は言う。無茶苦茶な話だ。言い出したのはN本で原因は技官だ。

 

「今、何を言うたんや」

N本は目を丸くする、私に言われて初めておかしいことに気が付く。

 

「F井を呼ばんかい」。

 

「ちょっと落ちつけ」

とN本は言うが、落ちつけない。

 

「もう上がる覚悟はできとる。早くF井呼べ」

もう刑務官と受刑者ではない。N本はF井に電話をする。

 

F井が担当台まで歩いてくるのが待てない。

工場の入口で待つ、ドアが開いてF井が入ってきた。

 

胸ぐらを掴む、ついつい大声がでる。

 

「コラ ジジイ」

通常であれば、殴るところだが、ジジイなので手を放してやった。

 

私はN本に

 

「上げんかいな」

と言った。N本は、

 

「何も上がらんかってもええやんか」

と言葉遣いがやさしい。

 

「何も見てないし、何も聞こえへんかったし」

N本が後輩であることを思い出した。

 

次の日からF井は、ホワイトボードやら

新品の文房具を次から次へと持ってくる。

 

ホワイトボードは、前から私が欲しいと言っていたものだ。

こんなことするより一言ゴメンと言え。