拘置所の内部の構造や見取り図をノートに
記載することは堅く禁じられている
脱獄を未然に防ぐためである
拘置所での1日は長い、読書、日記などで暇を潰す。
私の場合日記を長々と書いたが
そのうちに書くこともなくなってくる。
そこで受刑者生活心得という
冊子を写す作業をして暇を潰した。
国が隠蔽工作をしてくることを想定して、
私の作成した訴状には幾つかの落とし穴を掘っておいた。
今は髭については自由に伸ばす事が出来る。
誰かが未決拘留者の自由を争って勝訴したためだ。
しかし当時は「みだりに変貌を変えてはならない」
という規則が存在した。
今日のように電気シェーバーを舎房で持てなかった、
髭を剃れるのは入浴時のみであった。
堺拘置所はほとんどが独居房で北に25房、
南に30房、雑居が2房で12人、
約70人の被収容者を収容していた。
通常看守は2人から1人で被収容者の監視を行う。
入浴日には専門官という役職の看守が
一人増員され3人で入浴を開始する。
何故3人なのか、それは入浴時に官房から
2名を出して入浴させてから2名を官房に戻し、
そしてまた2名を官房から出して
入浴させるという方式で入浴させると
服務規程に記載されている

何故2名しか官房の外に出られないのか、
それは被収容者2名が結託して看守に
襲い掛かった場合を想定して
2名に対して看守が3名なら制圧できるという考えからである
しかしながら当時の看守らは怠惰で
時間の短縮を図り6名もの被収容者を舎房外に出していた。
2名は浴室内の身体を荒い髭をそる場所、
もう2名は浴室内の浴槽に浸かっている、
そしてもう2名は廊下で入浴準備待機をしている
廊下には立つ場所に黄色いペンキで
足型が書いてある2名分、
そして同じように大きな衝立を挟んで
官房に帰るための待機場所がある。
ここでは壁に向かってまっすぐ立たなければならない。
勿論、私語は厳禁で下を向くことも許されない。
衝立は浴室から出た被収容者と
入浴準備待機の被収容者が顔を合わす事のないようにある
第2準備書面が届いた想定どおり、
国は隠蔽を図ってきた。
剃刀の消毒はしていたとし、当時、消毒用アルコールを
管理していたという人物の証言である。
この人物は現在も大阪刑務所に勤務している
係長だ、要するに組織の管理下ということだ。
この人物が私と同世代であることから
当時は25歳そこそこであったことが推察できる。
アルコールの種類と何処に保管していたかということと、
その消毒液は厳重に保管されていた、と記載されていた。
笑わすな、20〇〇年堺拘置所で受刑者が酒盛り
という見出しで各社新聞が報じている
今でも堺拘置所、酒盛り、のキーワードで検索するとでてくる。
受刑者が消毒用アルコールを使用してカクテルを
作りドンチャン騒ぎをしていたのだ。
どこが厳重に保管されていたのだ、
それにアルコールを管理するのは
医務課であって看守ではない。
大体にして25歳くらいのペイペイにさせる仕事か。
次に剃刀を管理していた看守、
現在は大阪刑務所の係長で剃刀は専用の
箱があり、使用後は消毒をして、仕舞っていた。
ただし保管場所は覚えていないとの証言であった
この人物も私と同世代で、当時はペイペイの看守である。
大切な剃刀の管理場所が分からないことはないだろう。
管理する部屋が当時は風呂場なのだから、
完璧に嘘を言えない性格のようだ。
嘘は何時かばれると思っているのであろう
案の定
「みだりに変貌を変えてはならない」
という落とし穴に落ちてきた。
当時の受刑者生活心得を捏造しそれを
証拠として提出してきた。
ページ数はあわせて作成されているが
コピーの位置やページ数の印字が微妙に違う。
これだけではない、新聞の購入についての記載があった。
これには思い切り笑ってしまった。
新聞の購入が出来るようになったのは平成17年からだ。
30年前には新聞は購入出来ない。
各舎房に10分間だけ回ってくるだけで、
これがすごく楽しみであった。
綻びが出始めた、
これで公文書偽造作成罪の構成要件を満たした。
早速、告訴状を作成した、
ついでに懲戒請求申立書も作成してやった。
暫くは相手に好き勝手供述させてやろうと
馬鹿な振りをすることに決めた
案の定4名の入浴で、剃刀は4枚使用し風呂場の
鏡の上に引っ掛けていたのではなく
専門官が管理する消毒箱に4枚とも保管し、
使用するたびに貸与していたという作り話をしてきた。
おまけに消毒は6分間していたと供述してきた
第2回公判前整理手続が行われた。
メンバーは同じであった
私が当初、4人で入浴しっていたとの
部分を6人では無いのかと
質問したが4名だと言い張った
「そうだったかな」
と馬鹿になった
「黄色の待機場所についても記憶に無いのですか?」
と質問したが
「そのようなものは無い」
としらばくれてきた。
まあいいや最後に見とけよと心の中で思った。
私は独自のルートで当時の、
拘置所所長から聞きだした録音テープを保持している。

それだけではない、当時の専門官2名からも
当時の入浴の様子を聞きだした録音テープも保持していた。
卑怯かもしれないが現職の刑務官には
圧力がかかるが退職した刑務官は組織に
属していないので何でも正直に話す
どのようにして手に入れたかは割愛させてもらうが
真実は一つで、中には裁判に出廷して証言しても
よいとの返答をしてくれた人もいた。
裁判に於いて汚い奴と戦う時はより汚いほうが
勝つとうのは鉄則である
糊塗はどんどん誇張する、
これは新聞で報道されるかもしれないと思った
第3回公判前整理手続が行われた。
N村は一言も発言しない。だだ、その場にいるだけだ
被告代理人は本当のことを知らずに
裁判に出廷しているのかもしれない
「本当にこれまでの主張でいいのですか」
と被告代理人に尋ねた。
そしてN村の顔を見た、N村は顔を背けたが、
おばはんと、もう1名は
「これまでの主張に間違いありません」
と言った。私は裁判長に
「もう、これ以上は話すことはありません、
第4準備書面ですべて明らかにします」
と言った
家に帰ってきて所長と専門官の肉声を書面にしていく、
懲戒免職は免れないだろうと思った。
録音テープを起こしているときにも
N村の顔が浮かぶ、かわいそうな奴だな
これで全てが終わりだ、そう全て…
私に何が残る
私は気高く生きてきたか自問自答する
随分悩んだ、この裁判に勝つことに意義はあるのか
お金に対しての執着はない

私の矜持とN村の懲戒免職が天秤にかかる
第4準備書面を出す前に被告代理の
上層部だけが名簿から外れて
誰か分からない人間がまた被告代理人に選定されていた。
要するにこの裁判の責任を下部の者に
おしつけるつもりだ。
N村の名前は相変わらず残ったままだ
N村は傀儡に過ぎない
私のような者が真面目に国家に
尽くしてきた者の人生を変えていいのか
出した結論は、裁判を終結させるという答えだった。
勿論、休止という選択肢もあった
第4準備書面には
「裁判を終止いたします」
とだけ綴った。そしてN村に手紙を書いた
「私にはどうしても、あなたの仕事を奪えない、
あなたにも大切な家族がいるはずだ、N村君、
縦社会で君も大変だが間違っていることには
NOと言える大人になろうな
添付してある資料をよく見て何が真実なのか
自分の目でよく確かめてくれたまえ」
と記載してすべての証拠と告訴状、懲戒処分申立書を送った。
もしも、裁判に来たのがN村でなかったら最後まで
白黒をつけただろうと思う
今でも後悔はしていない、これでいいのだ
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