張 (ジャン) 覚せい剤密輸 懲役14年
ジャンは日本語がよく分からないということも、
原因の一つだったのか非常に寡黙な男であった。
工場にはもう一人、同名の張 (ジャン)
という韓国人の受刑者がいた。
二人とも日本語があまり分からないようだった。
ジャンが配役されて、半年ぐらいが経過した頃の話だ。
受刑者は身体の調子が悪くなると工場で工場長に申し出るという
管理システムになっている。
一週間に2回、医務回診というものがある
医務専門の看守が工場に回ってきて診察をする。
刑務所の管理運営上、医務専門の看守が工場に来る前に、
あらかじめ、誰が診察を希望するのか、
受診者名簿を工場長が作成することになっている。
受診者名簿から外された者は当然、
医務回診を受けることができない。
要するに工場長の許可が下りなければ専門医どころか、
医務専門の看守にさえも診てもらえないという、
すべてが工場長という看守に掌握させている。
どんな些細なことから、生命に関する重大な事柄までもが
工場長という一人の人間によって集中的に管理できるという
システムを刑務所は襲用している。
監獄法改定後も悪い慣習は改善されず薫陶され現在に至る
工場長が拡声器を使用して、工場全体に響き渡るように
「医務回診」
という号令をかける。身体の調子の悪い者は
役席で作業をしたまま帽子を脱ぐ。
工場長は帽子を脱いでいる受刑者の役席に赴き症状を尋ねる
そして受診者名簿に記載することになっている。
N本の場合は横着なので、自分が動き回るのではなく、
拡声器を使用して帽子を脱いでいる受刑者を
次々に担当台に呼び出すという形で受診者名簿を作成していた。
ジャンが担当台に呼ばれた、ジャンは日本語が話せない。
だから、ジャンはお腹の辺りをさする仕草をする。
N本はジャンに
「何か言え」
と言う、腹痛を訴えていることはN本にも十分伝わっている。
N本は日本語で言わないことが気に食わない。
日本の刑務所に収監され、時間もたっぷりとあるのに
日本語の勉強をしようとしないことに腹が立つのだ。
何でも自分の思い道理にならないと気が済まない性格であるから、
言葉が伝わらないことに腹を立てる。
それ以前に、日本に悪い事をしようとして
来たこと自体、気に入らない。
N本はジャンに「もう帰れ」と蝿を追い払うような仕草をする。
「帰れ」と言われているのだということはジャンにも理解できる。
私は、また韓国人いじめが始まったと思った。
N本は全員が見ている前で権力を誇示して見せ、
それがいい格好だと思っているようだ。
2回3回と虐めは続く、N本はジャンが
日本語で言うまで受け付けないつもりだ。
私はジャンに日本語を教えた
「オナカ、イタイ」
と言わなければ、いけないと。
次の医務回診の時に担当台に上がったジャンは
お腹をさすりながら教えたとおりに
「オナカ、イタイ」
と言った。するとN本は
「ですが抜けとる、帰れ」
と言ってまたしてもジャンを帰らせた、
お腹が痛いですとデスが言えないだけで帰らせる。
嫌がらせの名人だけのことはある。
私はN本に
「オヤジ、何でジャンに回診つけたりませんのや?」
と尋ねた、するとN本は
「俺はアイツの顔を見ているとムカムカしてくるんや」
と言う。誰が看守に絶対権力を与えたのか、
人権や人間の尊厳はどこにある、顔で処遇が決まるのか。
私はこのようなことを平気で言う看守に
従わざるを得ない境遇を心底悔やんだ。
小学生でもこんなことを言うまい。
嫌がらせは続き、3週間を過ぎた頃、
ジャンは医務回診を諦めてしまった。
私はジャンを助けてやりたくて
「オヤジ、ジャンが領事館に手紙を出すて言うてますよ」
と言ってやった。N本は
「出したらええやないか」
と強気だ。どうせ検閲ではじくつもりだ。
受刑者の手紙は一旦、工場長が目を通す。
不備があった場合、書き直しを命ずるか、
発信を許可しない。
刑務所には書信係という部署があり検閲をしている。
二度手間になることになる。
今から考えると工場長に検閲をする権利など、
なかったように思う。
自分に都合の悪い手紙は出させないようにするため
勝手に中身を見ていた可能性がある。
ジャンが医務回診を諦めてから、2か月位、
経過した時にジャンの様子がおかしいことに気が付いた。
少し痩せてきたのでジャンに尋ねると
ご飯が食べられないと言うことであった。
次の日が医務回診の日なのでジャンに回診をつけるように言った。
翌日、ジャンはお腹をさすりながら
「オナカイタイデス」
とはっきりと言った。しかし、N本はジャンを役席に帰らせた。
そして私に
「アイツ、しつこいわ こうなったら、とことん、つけたるかい」
と言うのだ。私はN本に
「ジャン痩せてきていますよ、何かあったら知りませんよ」

と言うと、N本は、慌ててジャンの顔をもう一度見に行き、
受診者名簿に初めてジャンの名前を記載した。
回診後に刑務所の刑務医に診てもらえることになった。
それから一週間後にジャンは大阪医療刑務所に移送された。
大阪医療刑務所は大阪刑務所に隣接している
受刑者が医療刑務所で治療を受け、
また同じ工場に帰って来るということはよくあることだ。
私はN本の虐めという行為が恥ずかしく、
日本人がすべてN本みたいな人間だと思われたくなかった。
ジャンの気持ちを慮ると異国の地でさぞかし
心許無かったに違いないと思った。
私はジャンを励ましてやろうと考えた。
医療刑務所に移送される前日、
工場の全員を食堂に集めてほしいと工場長に話をした。
作業終了後に時間を取ってもらった。
私は全員に向かって
「明日からジャンが医療刑務所に移送されることになったんやけど、
異国の地で不安やと思うから、みんなでジャンを
励まし立ってほしいんや」
と言った。全員が拍手をして励ましてくれた。私はジャンに
「早く良くなってまた20工場に戻ってくるんやぞ、
みんな仲間やからな」
と言った。
大体の意味が分かったのかジャンは、
はにかみながら少しだけ微笑んだ。初めてジャンの笑う顔を見た。
2か月が経過した頃にN本にジャンのことを尋ねてみた。
「まだみたいやな」
と呑気な返事だった。
そして半年が過ぎた頃にN本が
「昔ジャンっておったやろ、あいつ死んだらしいわ」
と言ってきた
「何で亡くなったんですか?」
と尋ねると
「胃癌らしいわ」
とまるで他人事のように用事をしながら言った。
腹が立って、N本に
「胃癌なら、早期発見なら助かったんと、違うんですか」
と嫌味を込めて言ってやった。するとN本は
「発見された時は、もう手遅れやったらしいわ」
と言った。N本を殴りたくなった。
「家族の方にもそのような説明だったのでしょうね」
と言うとN本は
「そうやろな」
とこれっぽっちも、責任がないかのように言った
工場にいる、もう一人の韓国人受刑者、
張にジャンが亡くなったことを告げた。
見る見るうちに張の目から涙が溢れ出た。
N本を殴ろうと、すぐ横にあった作業用のハンマーを持ち、
走り出そうとした
「あかん、辛抱しろ」
と言って止めた。
胃癌は早期発見なら胃の一部分だけを
摘出すれば助かる可能性が高い癌だ。
刑務官の人種差別や偏見で一人の尊い命が奪われた。
懲役の代わりはいくらでもいると言う。
看守にとっては、ただの罪人かもしれないが、
娑婆で帰りを待つ家族からすれば、
かけがえのない一人なのだから。
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