ガイドヘルパー

作業所を飛び出した私を救ってくれたのは、妻の存在だった。

妻は私がどんな状態であっても見捨てず、寄り添い続けてくれた。

 

そして、私にある資格の取得を勧めてくれた。それが「ガイドヘルパー」の資格だった。

知的障害や精神障害を持つ人々の外出をサポートし、社会との繋がりを支える仕事だ。

 

「あなたなら、本当は根が優しいから、きっと向いているわ」

妻のその言葉に背中を押され、私は必死に勉強して資格を取得した。

 

妻もガイドヘルパーの資格を持っていて夫婦で一緒に働くという夢を持つようになった。

ヤクザ時代には考えもしなかった、ささやかで、温かい夢だ。

M野君のガイドヘルパーをするようになって2ヶ月が経過する

 

週3回ガイドに付く。月曜日は1時間の散歩、

駅でいうと2駅程の距離を散歩する。

 

1時間以内に帰って来なければいけない。

火曜日と金曜日は2時間のプール。

 

M野君は歩くペースが特段に速い。

歩くペースを落としてもらいたいのだが言葉が通じない

 

最初は付いていくのがやっとだったけど、

最近では私の方が先に歩いてペース配分をしている。

 

M野君の歩くペースが余りにも速いので前任のガイドさんが

腰を痛めたという経緯で私に仕事が回ってきた。

 

プールでは浅い自由レーンで頭からザブンと

ダイブしては浮上するというルーティンを繰り返している。

 

M野君の障害手帳には精神障害1級と記載されている

 

「前を見なさいといっているでしょ」だとか

「早くしなさい」

というような言葉を延々と繰り返す

 

M野君はグループホームで暮らしている

以前は自宅療養をしていたのだろう。

 

その時にお母さんが口癖のように言っていた

言葉を繰り返しているに違いない

 

右手と左手をクロスして顎の下に持っていって

 

「ニン、ニン、ニン、ニン」

と呪文のように呟く

 

意思の疎通はできない

しかし、私は歩いている時にM野君に話しかける

 

「最近は、日が落ちるのが速くなったね」

 

「…………」

 

返答は何時も返ってこない

しかし、私は話しかける

 

「今日、プール楽しかった?」

 

「…………」

 

それでも、一方的に話しかける

 

「寒くなってきたね」

 

「…………」

 

意思の疎通はできないがこちらの

話しかける言葉は理解している

 

人がいない所では私がマスクを下げて見せて

 

「M野君、マスク、ココまで下げていいよ」

と言うと同じようにマスクを下げる。

 

M野君の年齢は30歳くらいかな

 

ガイドを引き継いでから2ヶ月なので

8週間×3日なので24日はM野君のガイドに

付いたことになる。

 

「M野君、帰ったらお風呂屋ね」

 

「…………」

何時もの通り返事は無い

 

ある日、散歩から帰ってきて私が帰るときに

 

「M野君、又明日ね」

と言ったら、小さな声で

 

「明日な」

と返事をしてくれた、耳を疑った…思わず出た言葉は

 

「ありがとう」

だった、それと同時に両目から暖かい汁があふれ出た

 

それは、涙だった

 

今まで返事など返ってきたことが無いのに…

 

不意の出来事に不覚にも泣いてしまった

 

すぐにグループホームを出た、

 

なぜ、涙が出て来たのかは分からないが、嬉しかったのだと思う

 

色々な経験をさせてもらった

自閉症の方のガイドヘルパーに就いた時の事だ

 

体育館でバスケットの練習をする、行きはお父さんが車で送ってくれる

帰りはタクシーで帰ってくる

帰る15分前ぐらいからタクシーの手配をしなければならない

この日は雨でなかなかタクシーがつかまらない

5社、電話してやっとつかまった、利用者の方からは

 

「タクシーまだか?」

と急かされる。

 

30分以上待たされた。でも手配できただけでもマシだと思う

 

人の役に立てるという事で、どれだけ自分の心が満たされるのかを知った

福祉の仕事はやりがいがある