どうして私が堅気になったか、その経緯を話そう

 

出所してから3年が経過していた。

 

事の発端は大阪刑務所に務めていたときに

南部という人間と知り合いになった

南部は私よりも先に出所していた。

 

ある日、私の組に南部から連絡を取ってほしい旨の電話があった。

 

南部と久しぶりに会った。

不動産の仕事をしているようで儲かっているようだった。

南部は私に仕事を何件か回してくれた。

 

しかし私は不動産のことには疎いのでI会の

本部の叔父貴で不動産に詳しい上浦という人物に相談した。

この時、谷口という叔父貴も一緒に話を聞いてくれた。

 

南部が土地を売ってくれるということで、

こちらが買いに入るという構図だった。

 

良い土地を安くで提供してくれた、取引になった。

こちらがお金を用意することになっていた

が当日になってお金の都合が付かなくなってしまった。

 

これでは取引にならない、悪いのはこちらだ。

しかし上浦と谷口は間に私が居るにもかかわらず

 

南部に因縁をつけてお金を脅し取ろうとした。

ヤクザの典型的な悪い見本だ

 

私は堅気である南部を守らなければいけなかった

 

上浦と谷口に文句を言った。

すると二人に本部の近くに呼び出された。

上浦が

 

「お前、同じ傘の下におったら、

どちらの言うことを聞かなあかんか分かってるやろな」

と圧力を掛けてきた。私は

 

「ええ、よう分かってまっせ」

と言って、上浦の顔面にパンチをお見舞いしてやった。

上浦はその場で腰を抜かした

谷口もしばこうとしたが一人で二人はしばけない。

谷口は本部が近かったので

脱兎のごとく本部に逃げ帰った

 

上浦に近づき顔面を蹴とばして、あとは馬乗りになって

 

「悪いんは、お前じゃ」

といって顔面を5発ぐらい殴ってやった

 

谷口にも制裁を加えなければ不公平なので後日、

本部の前で谷口を待ち伏せた

しかし谷口は現れず。

 

私から逃げ続けた、そのうちに谷口は破門になった。

 

私はしつこいので谷口を捜し続けた。

谷口は未だに私から逃げ続けている

 

上浦は会長の舎弟で谷口は会長の若中だった。

私は枝の組の若頭補佐だった。

 

そんな話が会長の耳に入り、親分に言われた

 

「芹、一旦、組から身を引いてくれへんか」

 

親分は会長に私の正当性を主張してくれたのだろうか、

ええわい、こんな組やめてやる

 

「親分、破門でも絶縁でも好きにして下さい」

と言った。親分は

 

「すまんなあ、いつでも組にもどれるように除籍にしとくからなあ」

と言っていたが誰が戻ってやるものか

 

私はヤクザの世界にきっと高倉健や菅原文太みたいな、

いい男がいるに違いないと思って任侠界に足を踏み入れた

しかし健さんや文太兄貴のような人間はいなかった。

それならば私が健さんや文太兄貴のようになればいいのだと思い

男らしく生きてきた

 

 

ヤクザの世界には、ほとほと失望していた。

ここらがちょうど潮時かと思った

 

全国のヤクザ組織に除籍のハガキが回った。

この時代では破門や絶縁になると破門状や

絶縁状が全国に回されていた。

 

除籍状というのも珍しい処分たった。

このようにして私のヤクザ時代は終わりを告げた