私たちは夫婦でB型作業所に通うことにした。

私たちは同じ生活相談員に面倒を見てもらっている

 

その人が事業所を立ち上げたのだNカンという名前だ

 

最初は2人ともPC作業で内容は食べ物屋さんの情報をサイトに

入力していく作業だった。

 

車で通勤をした、片道40分程度だった。車だとガソリン代や駐車場代等がかかり

電車で通勤するのと然程、変わらないので電車で通勤した

 

レクレーションが充実しておりフットサルなどがあった

妻はフットサルのチームに加入し、本格的にフットサルを始めた。

リンちゃんというニックネームで登録していた

 

私はいつも見学だった、妻のボディーガードだ

妻はメキメキと頭角を現し、選手として活動するようになっていった

ある日、体育館で何時ものように見学していると

チームメイトの一人が近づいてきて私に

 

「リンちゃんのお父さんですか?」

と尋ねてきた、私たちは20歳も離れているので

よく親子と間違われる

 

「しばくぞ」と言いたいところだが

 

「いいえ、夫です」

と答えた。すると

 

「ちくしょう」

と言って残念がって去っていった。

 

道を歩く時も私たちは手を繋ぐ

時折、歩き様に人が見てくることがある。

心の中は「親子かな」と思っているのに違いない

 

初対面の方には最初に断りを入れておく

「夫婦です」

と相手に気を遣わせない気配りだ

 

決まりごとがある、スーパーでは手を繋がない、

混雑していて迷惑になるからだ敷地外だと手を繋ぐ、散歩のときも手を繋ぐ

最近では見られる事にもう慣れてきてどうでもよくなってきた

 

Nカンで1年ぐらいが経過した時の事だ

仕事場でぬいぐるみを移動させている時のことだ

 

施設には「Y用」という、私より遥かに年下の若い生活支援員がいた。

このY用という男は、利用者を人間として見下しているような態度が鼻につく男だったが、

ある日、作業中の私に向かって、これ以上ないほど傲慢な口調で注意してきた。

 

「おい芹沢、そのだらけた態度はなんや」

その瞬間、私の頭の中で何かが激しく弾け飛んだ。

 

かつて数多くの不良やヤクザを泣かせてきた「芹沢」の血が一気に沸点に達した。

目の前の生意気なガキの胸ぐらを掴み、コンクリートの床に叩きつけて、

その歪んだ顔面を叩き割ってやりたいという猛烈な衝動が突き上げてきた。

 

私は腹が立ったが自重している、殴りたいが我慢する。

今ここで手を出せば、待っているのは懲役だ。

せっかく真面目にやってきたのに、すべてが懲役という波に飲み込まれていく。

また逆戻りだ。堅気の世界の難しさに直面した。

情けない気持ちや、こんなガキに注意されることや消化不良の思いで頭の中がおかしくなった。

 

翌日、私は施設の生活相談員に事実を述べた。

しかし「Y用はそうは言ってなかった」と信用されなかった。

 

相談員は元ヤクザの私の言葉よりも、職員の言葉を信用したのだ。

この悔しさをどうしたらよいのか分からなかった。

 

手を出せば懲役が待っている。堅気の世界は我慢することが多い。

これが社会というものなのかも知れない。

 

私は我慢する代わりにB型作業所を辞める決意をした。

このままでは獄門が扉を開けて待っていると思ったからだ。